英国における国民投票の結果、EU離脱派が勝利した。つまり英国はEUを離脱するという選択をした。昨日このニュースを職員室で耳にしたとき、なんというか少なからず衝撃を受けた。日本の多くの人たちが予測していたように、おそらく英国民は最後の最後には賢明な選択をするだろう、とぼんやり考えていたからだ。

もちろん賢明な選択とは、勝手にこちらがそう思いこんでいるだけのはなしであるが。移民を排斥するような選択を英国がするはずはないと思い込んでいたのだ。

反グローバル主義、反新自由主義、レイシズム、反知性主義、排外主義、ポピュリズム、などという言葉でくくってしまえるほど、事態は単純なものではないのだろう。ただ単に狭量なナショナリズムであるという断罪には当てはまらない。そうとらえるほうがよいと思う。

グローバリゼーションの結果、新自由主義の結果、民族の共存の結果、知性主義の結果、多様性を許容する結果、これらの一瞥崇高なる理想の結果、何がもたらされたのか。

富める者と貧しいものとの格差である。経済発展を至上命題として突き進んだ結果、俺たちのこの世界はますます富の偏在を拡大させ続けている。

EUという平和の理想からの英国の離脱はそのことを突き付けている、と考えるべきであろう。

われわれの経済活動とは本来、富をいかに公正に分配するか、ということに腐心するものであり、そこにすべての知恵を絞るべきものであり、それが本来的な人類の知性と呼ぶべきものである。なので現在の知性というものはもはや知性と呼ぶに値せず、没知性というべきかもしれない。

わずか1パーセントの富裕層に世界の富の半分が集まっている世界では知性などに何の効力があるというのか。そのベクトルをなんとかしろという神の啓示であると、この離脱を捉えるしかないな。